泊 松茂良流 興徳会 公式サイト

泊手松茂良流空手とは

泊手松茂良流空手とは
泊手
祖 松茂良興作 其ノ一
祖 松茂良興作 其ノ二
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祖 松茂良興作 其ノ一

尚育王代道光九(1829 )年三月、松茂良興作は興典の三男四女の長男として、琉球(今の沖縄)の泊村で生まれました。

興作は成長するとともに武術を志し、同じ泊村の宇久嘉隆に空手の手解きを受け、ついで照屋規筬に師事し、めきめきとその腕を上達させていきました。
その成長ぶりには師も一目おくほどだったと言われます。

興作が生まれ育った琉球は、慶長十四年に薩摩藩の侵略を受け、その後二百三十余年に渡り圧政を強いられることになります。
これは、琉球がおこなっていた外国との貿易で得られた物資を安く買いたたき、京や大坂で高く売るという利益を目的としたものでした。

そんな圧制に耐える琉球は、過去に武器を国庫に納めており、武器を持たない国だったので、必然的に護身術として空手が発達していました。この空手習練を、薩摩藩は不穏な動きとして注視していたため、人目につかないところでの練習がおこなわれるようになりました。

興作もフルヘーリンという場所にある墓場で練習を続けていました。
ある日、その練習を観察しているフルヘーリンの住人に気付きます。この住人にただならぬ気配を感じた興作は、住人に武芸の教えを乞いました。秘伝を授かった興作は、更に強さを増しますが、決して自分から先手を出すことはなかったそうです。
それは師より、空手は技を超越した精神面に重きをおき、生半可は自滅であると戒め、仁・義・礼・智・信の五条をわきまえる、と教えを受けていたからです。
むやみな争いを避ける興作を見て、他の門弟からは臆病者よばわりされましたが、師は、教えに背かない真の武人であると、讃えたそうです。
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